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めがねぐらし

つれづれ。あと眼鏡さん

いんたーねっとのあれを自分なりに考えた


nectaris.hatenablog.com
こちらを見て自分が今のインターネットとこれまでのインターネットをどう感じているか、感じてきたかを整理したくなったのでしてみるアレです。

前提

自分もまさに1999年くらいから色んなサイトを作っては消してきました。
インターネットはこうである、みたいな話ではなくて、そんな自分にはインターネットがどう見えているか、というおはなし。

かつてのサイト

当時のインターネットで自分が発信をする場を作るにはレンタルサーバを借りてhtmlをアップロードする必要があり、そのハードルは今とは比べ物にならないものでした。
かつそれはあくまで静的なページに過ぎないので、閲覧者とコミュニケーションをとるには、自分のサイトにBBS(掲示板)やチャットを設置するなどする必要がありました。

それ以外の他人とコミュニケーションをとる手段も同様で、大概がどこぞのサイトに設置されたBBSやチャットが主なものです。
なので、基本的にはそのサイトやそのサイトが扱うコンテンツ(ゲームとか漫画とか)に関しての話題が主なもので、よそのサイトをどうこう言うというのはあまりなかったように思います。

ちょうど1999年に2chが開設されたのでそこではそういった話題もあったんでしょうけど、この頃の2chはかなりアングラなイメージがあったので僕はほとんどアクセスしたことはありませんでした。

今と照らし合わせてみる

今はブログサービスに登録したらそれだけで自分が発信する場ができて、コメント機能によって閲覧者とコミュニケーションをとることができます。
コメント機能は言ってしまえばかつてのBBSのようなもの。(作成したコンテンツと同列に並ぶという差はありますが)
反応を見たくないならコメントを開放しなければ(BBSを設置しなければ)よく、気に入らない内容が投稿されたら消せばいい。そこは変わらない。

じゃあ何が決定的に違うのかというと、自分がコントロールできない自分(ないし自分のサイト)についての感想を言える場所が増えた、というところなのかなと思ったりします。

感想を言える場所を誰でも持てる時代

コメントやBBSってその人の持ち物に対して書き込みを行うことになるので、その人の持ち物でない場所に書き込むのに比べてハードルは高い。
対してSNSやソーシャルブックマークといった場所は感想を言うハードルが比較的低く、かつ本人に伝えようという意思の有無に関係なく発信され得るものです。

なので、SNSなどの登場によって自分や自分のサイトに対する感想がインターネット上に発信される機会は増えたのかな、と思います。

ただ、直接的に自身に発されたわけではない言葉は能動的に探しに行かないと気付かないものであり、(気づいた知り合いが善意で教えてくれちゃうとかもあるだろうけど)それをわざわざ探しにいって消沈するのは自滅、それも嫌なら鍵付きかチラシの裏にでも書いてろ、というのはもっともな意見だとは思います。
が、やっぱり発信している以上反応は気になるもので。

幸か不幸か昔に比べてgoogleさんは賢くなっているし、先述の感想を言える場所、たとえばtwitterというサービス内でユーザーを横断した検索も簡単に出来てしまうし、なんなら話題になれば勝手にTLなどの観測範囲に現れるしで、感想に辿り着くハードルも下がっています。

つまり、本人に届けるつもりもなかったただの走り書きすらも本人に見つかってしまう可能性が高まったわけです。

試されるスルー力

そんな状態のインターネットでこれまで数々の炎上が繰り広げられ、技術的な意味での発信のハードルと反比例するように、精神的な意味での発信のハードルというのは上がってしまっているように思います。
誰に何と言われようが俺は俺の道を行くようなこころのつよい方ならアレですけど、みんながみんなそうではないので、以前と比べてエディタを開いたとき、「公開する」ボタンを押す前、様々なシーンでふとこの記事を公開して大丈夫だろうか、と考えるようになってしまった人は少なくないのでは。

個を表現するものの増加

かつてインターネットにおいて個を示すのはハンドルネームとせいぜいURL、メールアドレスくらいでした。
かつ、そのURL(子ページのURLはおいておいて)というものも大概の人が0か1つしか持ってなかったんじゃないでしょうか。
なので仮にそのハンドルネームやURLに傷がついてしまって0からスタートしたいとなっても、捨てるものは少なかったわけです。

これに対して現在はtwitter、facebook、instagram、個人サイトなど、各ユーザーが持つURLが増え、割と当たり前のように各URLはその投稿やプロフィールによって繋がり、絡み合っています。
それら全てをリセットしないとインターネットにおける個が死なない、言い換えれば一つを基点に他の領域まで侵されうるというのも発信のハードルを上げる一つの要因になっているケースがありそう。
もちろんこれは利用者の使い方次第なので、切り離そうと思えば切り離せるものではあるんですけれども。

ざっくりまとめ

  • 自由な話題について発信する場を持ちやすくなった
  • 自身について発信された内容に気付きやすくなった

インターネットで自由に自分を表現しづらくなった、と感じる人が増えたとすれば、このあたりの環境の変化、それによってもたらされた炎上の顕在化みたいなところが大きいのかなと思います。
異論は認める。

自分は幸いにして炎上や、自身や自身のサイトがdisられてる様の観測を経験したことがない(フラグ)のですけども、それでもやっぱり反応を探したり数々の炎上を目の当たりにした結果、窮屈に感じるレベルではないにしろ、昔ほどは自由な表現はできてないなーというのが現状です。

思い起こすとWEB拍手が唯一の閲覧者とのコミュニケーションの手段だった頃が割といいバランスで運営できていた気がします。なつかしさ。

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